双極Planetary

詩とか小説とか。

Luger part8

でも彼女は言った。

「…愛? くだらないことを言うのね」
「低俗な言葉よ…」


メイリィはそう言いながらも…
私が、お母様と二人きりでこの血生臭い地下施設に残る事を否定はしなかった。
そしてメイリィは、私にあるものを見せてくれた。
それは、あの赤い微生物… ワクチン・ルガーだった。

 

「…これをあなたに渡しておきたかったの」
「このワクチンはある人の遺伝子を利用して開発されたの」
「ワクチンの名前はその人からとったのよ」
「…わかるかしら?」
「これはあなたのお母様なのよ」


新しく出来たワクチン・ルガーは…
エマ・ルガー… お母様の遺伝子から開発された。
私はその事を瞬時に理解した。
ザワザワと蠢くその赤い粒は…初めて見た時からどこかお母様に似ていたから。


皆が地下から去り…
私とお母様は二人きり、この地下施設に残された。
暴力でしか愛情を表現することが出来ないルガーお母様…

きっと、私が別のどこかへ行ってしまうくらいだったら。
私の事を殺してしまうほうが正しいと、お母様はきっと、思ってる。
傷を、痛みを刻むことで私に忘れさせないようにしてる。

それが…きっとそれが、お母様の精一杯の愛情表現…


そう信じてる

 

この心地良い場所にお母様と二人になってから…どれくらい時間が経ったろう。
今、私は…先端の折れた鍵を握っている。
…ずっと前にお母様と同じ部隊の傭兵に鍵のことを聞いた覚えがある。

この鍵は…
まだこの場所に来る前に…お母様が拷問していた囚人を監禁するための鍵だったらしい。
それは返り血を浴びて次第に赤く染まっていき…
囚人が息絶えると同時に折れてしまったのだという。
人間が死ぬ瞬間を目にしたのはそれが最初だった。
お母様はそれから… 折れてしまったその鍵をずっと持ち続けていた。
…息絶えた囚人は今も、その二度と開かない牢獄の中で鎖に繋がれたままなのだろうか。
血まみれのその鍵は…今、私の手の中にある。


…お母様は帰ってこない。


どこへ行ってしまったの?
ずっと、そばに、居てくれるって約束したのに。
ああ、お母様…

忘れたくない
私を見つけてくれたあの日から
お母様が、私を愛し続けてくれていたこと

忘れたくない

…ここには、お母様がたくさんいる。
赤く染まって…モゾモゾと蠢くそれにお母様の面影はない。
でも、この赤い粒は…
紛れもなくルガーお母様だ。
私はメイリィにもらった、ザワザワと蠢くこの赤い粒を…
ワクチン・ルガーを… 自分の身体に投与した。

これは私にとって最愛の母
―――「エマ・ルガー」

お母様なんだ…
私はきっと、忘れない


さあ、そろそろ眠りましょう…
血生臭い地中の黒淵。
最愛の母の懐とも呼べるであろう、この場所で…


~Fin~

Luger part7

それは早朝から始まった。
逃げ惑う人々…それを追い、捕え、殺す部隊。
無機質な地下の牢獄施設は混乱に支配される。
地中深いグレーの通路に真っ赤な死体が転がっていく。
もちろん、私も殺される…


でも、それでいい…
お母様の中で死ねるなら


私は暗い牢獄の中で鎖に繋がれたまま、ただ、殺されるのを待っていた。
その時、格子の扉が勢いよく開け放たれて、誰かが飛び込んできた。
薄っすら目を開くと、その誰かはシャンティだった。

シャンティは鍵を手にして、私の腕に繋がった鎖の錠を解こうとしていた。

 

「君は逃げるんだ」
「逃げるんだ、助かるんだ。この鎖を解いて一緒に…」

 

彼は監視の目を掻い潜り、私が監禁されている牢獄へ、私を助けに来てくれたんだ。


やめて 鎖を解かないで
私はここで…お母様の中で死ぬ事に決めた


私はシャンティを拒否した。
これから私も、シャンティも、全員が殺されてしまう。その事は私も理解していた。
でも私は、ルガーお母様と離れる事よりも…
この場所で死を受け入れる事を選んでいた。
シャンティは私に拒否されながらも、何度も鎖の錠を解こうとした。

その時、甲高い足音が響いた。

…ルガーお母様。


私が呟くと、シャンティは即座に振り向き…
どこで手に入れたのか、拳銃を構えてお母様と対峙した。

ルガーお母様は、シャンティを見据えていた。
それはあの時と同じ…人を殺そうとしている目だった。
シャンティは銃口をお母様に向けたまま、ただ身体を震わせていた。

 

「殺されてたまるか… 殺されてたまるか…!」
「彼女は僕が、連れて行くんだ…!」

 

シャンティは銃を撃てないまま、恐怖に震えて涙を流していた。

お母様はシャンティのところへ、ゆったりとした足取りで進んだ。
そして動けないシャンティを…

優しく自分の胸へと抱き寄せた。

お母様はシャンティの手から銃を優しく手に取って…
その銃口を彼の頭に当てていた。
そして、あの子守唄を… 幼いころよく聴かせてくれた、子守唄を口ずさみはじめた。
私はその姿に見惚れていた。
シャンティもうっとりとして動こうとしなかった。
お母様は、微笑んで…


引き金を引いた。

 


そうだ…お母様は微笑んでいた。
記憶にないと思っていたお母様の笑顔。
でもお母様は、子守唄を口ずさむ時は微笑みを浮かべてくれた。

お母様は動かなくなったシャンティの身体を支えて、子守唄を歌い続けていた。
砕けた頭と血が飛び散る牢獄の中で…

子守唄を口ずさんでいた。


なんて心地良い…

私は穏やかな気持ちに包まれて、その様子をジッと眺めていた。

エマ・ルガーという存在は…
もう私の内側いっぱいに満たされていた。
私も後はただ、死ぬだけ。
でもお母様は…


私が死ぬ事を許さなかった


「エマ・ルガーが裏切った!!」
「仲間が殺られた… あの女 他国の娘を守っている」
「悪魔の女め…本性を表したな」


ルガーお母様は私の前に立ち、仲間の傭兵たちを次々と殺した。
私が少しでも離れると、強く手を引いて私の身体を隠すように背に当てて…
そばを離れるな、と言った。
殺した仲間たちの死骸を踏み分けながら… 私の前を歩いていく。


お母様の背中…


「悪魔の女を殺せ!殺せ!」
「まずは娘から殺るんだ!」


お母様はとても強くて、立ちはだかる仲間の傭兵たちを無為に、次々に殺していく。
ああ、お母様が、私の事を守ってくれている。
私に生きろと言っている。


お前は殺させない
私が生きている限り
お前も生き続けろ


裏切り者となったお母様は私を連れて地下施設を深く潜り、その身を潜ませる事にした。
だけど傭兵部隊による捜索が行われればこの軍事施設に身を隠すのは難しい事だった。
でもメイリィがかくまってくれたおかげで…
私たちはどうにか難を逃れる事ができた。

メイリィはどこか懐かしんでいるような…
そんな表情で私たちに語りかけてきた。

「彼らがここを出るまで私のところで匿ってあげる」
「ウイルスが蔓延しているここには長居出来ないはずよ」
「お礼、ね…」

メイリィは、ワクチン・ルガーの試作品が今になって完成した、と話した。
私たちを助けてくれたのはそのお礼、だと…
この時はどうして私たちに「お礼」をするのか理解できなかった。

…メイリィのいうとおり。ほどなくして傭兵部隊は自国への移動を開始した。
続いて、残っていた医師団も移動を開始する。
この地下施設には私とルガーお母様だけが残される事になる。

メイリィが地下施設を去る時、私は彼女に聞いてみた。
私は今まで、ずっと… ルガーお母様に愛されていたか、を…

Luger part6

地下施設への移動をする日。
シャンティは私の手を取って、一緒に逃げ出さないか、と言った。
ここから逃亡しよう、と。
地下へ行けばルガーがいる。
君を束縛する人殺しの母に再会する必要はない…と。
シャンティは真剣な眼差しをしていた。
なんだかその瞳はきらきらと光り輝いていて…
「希望」の色をしていた。
お母様からはもう、解放されたいと思っていた。
シャンティとずっと一緒に居たいと思っていた。
でも、私は…


私、お母様に会いたい


私は何の迷いもなくシャンティの手を振り解いていた。
ルガーお母様が修道士を刺し殺したその瞬間を目撃して以来…
あの血の臭いから解放されたいと願っていた。
でも私の心に染みついた濃い血の臭い…
お母様、ルガーが漂わせていたその臭いは、より色濃くなっていた。


ああ、お母様…
会いたい、会いたい
お母様に、会いたい
会える、会える…
やっとお母様に会える


ルガーお母様は地下深い場所、薄暗い牢獄で囚人に拷問を繰り返していた。
地下施設に移動したその日。
私はメイリィに、お母様に会わせてほしい、と必死に懇願した。
するとメイリィは躊躇なくそれを受け入れ、お母様を私の前に連れてきてくれた。

ルガーお母様は、私の姿を認めたその瞬間…
私の腕をつかみあげると足早に歩き始めた。
そして腕をつかんだまま、血生臭い地下の深淵へと私を連れて行った。
私が連れていかれた場所は、囚人達が投獄されている牢獄施設だった。
お母様はその牢獄の一つに、私を放り入れると…
その腕を囚人達と同じように鎖に繋いだ。

何の抵抗も感じなかった。
抵抗を感じるどころか、私は喜びに満ち満ちていた。
お母様の、鎖…

懐かしい、お母様の臭い…
私をこの鎖から…
もう二度と、離さないで

私、ずっと、この檻の中で…
お母様と、一緒に、いたい…

 

それから私の牢獄での生活が始まった。
何もしない。
ただ、鎖に繋がれている。
呻き声が辺りに響いている。
…お母様が、拷問を施す、その音が聞こえる。


心 地 よ い


血の垂れる音…
肉をほじる音…
えぐる音、切る音、千切る音…

苦しみ…発狂…

 

なんて心地良いんだろう…
私の中に住むお母様が、それらの音色を全て美しいものに変換してくれる。

私が牢獄に監禁されてからしばらくの時間が過ぎた。
無機質な石の匂いと、血と肉の生々しい臭い。地下水が垂れる音と呻き声…
それら全てのものが、ルガーお母様を彷彿とさせるものだった。
とても居心地が良い…
私にとってこの牢獄の中は、お母様の母胎そのものに思えた。

メイリィは地下施設に移動してからも常にワクチンの研究を続けていた。
わずかしか残っていないワクチンを複製するためには…
ワクチンを生成するための特有の遺伝子が必要だと聞いた。
研究の合間、メイリィは足繁く牢獄に通っていた。
囚人達と同様に鎖に繋がれ、監禁されている私に会いにくる。
彼女は私に、ワクチンの遺伝子に関わる…
ある女性の面影を見ていた。
メイリィはどこか寂しげな顔で私の事をジッと見つめていた。
その表情を、私はよく覚えてる。

 

牢獄の中で暮らし始めてからまた一年近くの歳月が過ぎた。
ある朝、エピカリによる感染症でハイネ司祭様が死んだと聞いた。

残りわずかなワクチンの投与を拒み続けた事が原因だった。
司祭様はワクチンに対し、恐怖を異様に抱いているような…
そんな仕草だったという。

ワクチンの名前は「ルガー」。
それはある遺伝子と、ある特定の微生物を利用して生成される治療型ワクチンだ。
いつか教会の倉庫で目にしたあの赤い微生物…
あれこそが、ワクチン・ルガーだったんだ。
ワクチンの見た目に驚いて投与を拒む人は多かったけど…
司祭様はまるで違う…
神様か何かを恐れているような、そんな様子だったと聞いた。
ワクチンの投与を最後まで拒み続けた司祭様は…
エピカリによって狂人と化し、自害する事によって人生を終えた。


新しいワクチンの研究、生成はついに追いつかなかった。
その後エピカリは地下施設内にも蔓延しはじめ…
それは唐突に猛威を振るい、死者は続出した。
私たちを管轄する傭兵部隊はこの地下も捨て、自国へと戻る事を決断する。

敗戦国の民である私たちはいよいよ見捨てられ、全員が殺される事になった。

Luger part5

見られてしまった…
私の身体の中は、恐怖と罪悪感で一瞬にして満たされていった。
お母様は、ナイフを握っていて…
乱れのない足取りでシャンティに歩み寄った。

それに気づいた教会の修道士がお母様を制止しようと走ってきて…
でも、ナイフを振り上げたお母様は何の躊躇もなく、その刃を突き立てた。
それは制止に駆け寄った修道士の胸部に深く突き刺さった。

騒ぎを聞いて駆け付けた傭兵たちがお母様を取り押さえ…
…刺された修道士は治療を受けるべく運ばれた。
でも躊躇なくえぐられた傷は深く…その修道士は即死だった。


放心状態のまま自室に戻って…私はそれから動けなかった。
ただ、床に座り込んだまま…何を考えるでもなくジッと何かに耐えるように…
身体を動かそうとしても動かない、動きたくない。

お母様はヒトゴロシ?

誰とも会いたくない。
血にまみれたお母様の顔が…

頭から、離れない。

血が、血が、たくさん…

血が、お母様の、顔を、腕を、髪を、染めてる


血の臭いには慣れていた。
お母様が拷問史なのもずっと昔から知っていた。
でも実際にお母様が人を殺す瞬間を見た時…
私はどうにかなってしまいそうだった。

あんなに、カンタンに…
人を殺してしまった…


お母様はヒトゴロシ

ルガーお母様が人を殺す瞬間。
それは私の脳裏を捉えて離そうとはしなかった。

この事件の後、お母様は部隊からの外出を禁止され…
今までのように地上を訪れる事は無くなった。
私はお母様に会うのが怖くて、もう地下から出てこないという話を聞いてひどく安堵していた。
それでも、あの瞬間…
人間の悲鳴と、血生臭い臭気。溢れ出る赤黒い血液とそれを浴びたお母様の横顔…
それらの記憶は脳裏にこびり付いたまま…
私は与えられた仕事もせずに、しばらく部屋にこもっていた。
それから数日の後、メイリィが私の部屋を訪れた。
彼女は私を、赤い花が一面に咲いている教会の外へと連れて行った。

それは私が幼いころによく、お母様と一緒に過ごしていた場所だった。
赤い花の独特な香りと…
お母様から漂う血の臭いが鮮明に呼び起こされる。
同時に、人を殺した瞬間のお母様の姿も脳裏に蘇る。
メイリィは言っていた。

「…本当は誰だって」
「自分以外の命なんてどうでもいいと思っているわ」
「あなたのお母様は…」
「あなたが言うような人殺しではないのよ」


メイリィがその言葉を私への気休めで言ったのか…
それとも本気でそう思っていたのか分からない。
ただ、赤い花畑を見ていると、お母様の後姿が思い浮かんだ。
地上にいる間、私を自分のそばから放さない。
いつでも手を握って、私をすぐ近くに置いておく。
私はその背中を一生懸命に追いかけていた。
血の臭いと冷たい手…
決して笑顔を見せないお顔と長い長い、銀色の髪…
それらの記憶は、私の心に染みついていた。


それから、一年近く歳月が流れたころ…
あの感染症、エピカリが急激に拡大する。
ワクチンのストックが全て無くなってしまったからだ。
その様相は壮絶なものだった。
感染した人間は凶暴化し、周囲の人間に殺意を抱き、衝動的に殺し合う者すらいる。
感染者は監禁され、鎖に繋がれた。
それでもウイルスの拡大を抑えることは出来ず、周囲の村は感染者で埋め尽くされてしまう。
生き残った者は逃げ込むようにこの教会の地下施設に場所を移すことになったのだった。
拷問が続けられていた軍事施設は冷たく、薄暗く、ひどく血生臭い場所になっていた。

お母様…

その場所にはルガーお母様がいる。
その事を思った時…私の脳裏には、子守唄を口ずさむお母様の姿が思い浮かんでいた。

お母様にお会いするのは、修道士が刺し殺されたあの時以来の事だった。

再会するのが怖い。

会えばまた束縛される。血の臭いが身体に染みつく。
それに…お母様はヒトゴロシだ。
私はもう、おどろおどろしい血の臭いから解放されたい。
…お母様はきっと、私の事を愛してなんていない。
私はお母様の笑顔だって見た記憶が、ない。

お母様に会う事のなかった一年間、私はそう思っていた。
でも、地下へ移動すれば、そこにはお母様がいる…
まだ生き残っている感染者を地上に捨て置いたまま…
お母様のもとへ行く?


「このままここにいれば殺されてしまうわ」
「あなたも一緒にこなくてはいけない…」
「―さあ、行きましょう」

「あなたのお母様が居る場所へ」

Luger part4

エピカリは急速に広がり、死者は一気に急増しはじめる。
それから白衣を着こんだ人間たちが頻繁に教会を出入りするようになった。
それはメイリィという黒髪の女性がリーダーを務める医師団だった。
彼女は連れてきた医師たちに的確に指示をだして感染者たちを治療していった。
その反面、既に死亡している者は躊躇なく焼却処理を行っていた。
メイリィが到着してから、エピカリは驚くほど沈静化する。

それにはあるワクチンが大きく関係していると聞いた。

メイリィは医療行為と薬品研究の拠点として教会で寝泊りするようになる。
焼却される死体に祈りを捧げ続ける私に…メイリィは言った。

「…もう大丈夫よ」
「紫色のウイルスに一つだけ有効なワクチンがあるの」
「私はメイリィ」
「…医師よ」


メイリィはどこか、私に興味を抱いているようだった。
とくに話し掛けてきたリするわけではなかったけれど…
顔を合わせるたびに視線を感じたのをよく覚えてる。

それから数日が過ぎて…
いつものようにルガーお母様が聖堂を訪れたある日…
その日、お母様は地上で夜を過ごし、翌朝に地下施設へ戻る予定だった。
お母様は地上にいる間、私のそばを離れる事はない。
でもその晩…私がふと、眼を覚ますとお母様の姿はなかった。
私は急に不安になって…
お母様を探して堂内の廊下を彷徨い歩いた。


お母様…お母様…
どこ…?

その時、ザワザワと… 何かが蠢くような音がどこからか聞こえてきた。
何故か私は惹かれるように… その音が聞こえるほうへフラフラと歩いていた。
そこは教会の倉庫だった。
その扉を開いた時、私は思わず小さな悲鳴をあげた。


微生物のような赤い粒が倉庫の壁一面を這い回っていた。

すごく怖かったのに…
その赤い微生物に魅入ってしまったように、私の脚は動かなかった。

なに…この、部屋…?
赤い粒が…動いてる…

逃げ出したいのに動けない。金縛りにあったみたいに、身体がいう事をきかない。

「…こんな時間にどうしたの?」

突然聞こえたその声が、私の金縛りを解いた。
くるりと後ろを振り向くと…
メイリィが、私の事をジッと見ていた。

「また瓶の中から這い出てしまったみたいね」
「…驚いた?でもよくあることなのよ」
「…ああ この赤い微生物のことよ」
「この子たちはね…」

「ルガーっていうのよ」

「それよりどうしたの?こんな時間に…」
「眠れないのかしら…?」


私は咄嗟にその場から逃げ出していた。
どうしてか分からない。
ただ、何かいけないものを見てしまった気がして…慌てて走り去ってしまった。
それからは「ルガー」を見る事はなく…
エピカリによる感染も完全とは言えないけれども落ち着きを取り戻したまま…
時間は刻々と過ぎていき…
私は16歳まで成長していた。
それでもルガーお母様の私に対する態度は変わらなかった。
淡々と会いに来ては私をそばに置いたまま離れない。
無口で冷淡としていて、血の臭いを漂わせている…
私が他人と関わる事も禁止されたまま。


そんな日々が続いていたある時、シャンティは緊張した面持ちで私に想いを伝えた。

「僕は君を愛している」
「ずっと昔から…」
「君のことを愛していた」

それは「愛」の告白だった。
シャンティは唇を塗らして、懸命に、懸命に伝えてくれた。
でも私はその言葉にどう応えていいのか分からない。
私もシャンティに惹かれている。ずっと、ずっと、一緒にいたい。
…そう思っている。
それが「愛」なんだろうか…?

笑顔を見せないお母様は、私の事を愛している…?
私はただうろたえていた。
そして私の中にはルガーお母様の言いつけが宿ったまま、離れはしなかった。

…他者と関わる事を禁止する


「君は僕のこと。どう感じてる…」
「君には僕が、どう映っている…」

何も応えなかった私を、シャンティはそれからも…
幾度となく外の世界へと誘った。
お母様から言いつけられた「外出禁止」の教えと…
見た事がない世界への恐れ。
だけど私は、外の世界への興味は常に抱いていた。
それは次第に膨らんでいって…


よく晴れたある日。
懲りずに何度も手を差し伸べるシャンティに心は揺り動かされ、私はその手にふらりと歩み寄った。
その瞬間、私の視界の隅に…

 

ルガーお母様の姿が見えた。

Luger part3

それからもルガーお母様は変わらず私に会いに来てくれた。
私の近況を事細かに確認するお母様の様子はまるで、私を監視しているみたいだった。
お母様はいつでも血の臭いを漂わせていて…
その臭いはだんだん、私の身体にも染みついているような気がしていた。
その頃の私は、その臭いがなんだかとても怖いものに思えた。
臭いが手に染みついて全然はなれない気がして…
私は近くの川で何度も何度も手を清めていた。
洗っても洗っても血の臭いは取れなかった。
だから私は毎日、毎日、川に手を清めにいくようになった。

いつもそうしてる私の事を気にしていたのか…
私は男の子に声を掛けられた。

「この川の水、綺麗だよね… それに冷たくて気持ちがいい。」
「果物や飲み物はここで冷やすといいよ…」

その男の子はシャンティという名前で…
戦災孤児として教会で暮らしている私と同年代の少年だった。
シャンティは似た境遇の私に興味を持ったみたいで…
それから私を見かける度に声を掛けてくるようになった。
でも私はルガーお母様の言いつけをかたくなに守り、シャンティを避けてばかりいた。

この頃から、教会をとりかこむ野原一面に赤い花が一斉に咲き始める。
毒々しくも鮮やかな色味をしたその花びらは、どこかルガーお母様を彷彿とさせた。
私は真っ赤に染まった花畑に、違う色の花が咲いて欲しくて…
地面に穴を掘っては違う花の種を埋めるという事をよくしていた。
お母様を彷彿とさせる赤い花に埋め尽くされた花畑に、私という存在を割り込ませたかったのかもしれない。

そのころも変わらず、お母様は私に会うため地上へ上がってきていた。
司祭様は聖堂を訪れるお母様の姿を見るたび、どこか怯えているようだった。
敵国傭兵部隊の、それも拷問史だったのだから当然かもしれないけど…
お母様に対して司祭様は…そういう類のものとは、また違った恐怖を感じているみたいだった。
ルガーお母様に、一種威容な「何か」を見ているような…
私にはそんな司祭様が理解できなかった。
赤い花に包まれたお母様はただ、ただ、綺麗で…
吸い込まれるような、そんな魅力を私は感じていた。

お母様は私をその花畑によく連れて行って…何をするでもなくただ赤い花畑を眺めていた。
お母様は私と接する時もいつだって冷然としていて、笑顔を見た記憶はほとんどない。
私にとって…
拷問史であるその身体からいつも漂っている血の臭い…
子供のころよく聴かされていた子守唄…
眼の前に広がる真っ赤な花畑…
私にとって、それがルガーお母様の全てといえた。


私は10歳になろうとしていた。
食料もまともに手に入らない貧しい環境のなかで、私はただ静かに暮らしていた。
人気の無くなる深夜になると、祭壇の前で祈りを捧げて皆の幸せを祈ったりしていた。
シャンティは今まで以上に私に近づいてくるようになった。
お母様の言いつけを守る私が、避けても、避けても…
彼はめげずに、何度でも私に話しかけてきた。
私が畜舎で動物たちの世話をしている時も、シャンティはよく姿を見せていた。
私には理解できなかった。
どうして、ここまで私に興味をもってくれているのか。
でも悪い気分はしない…
やっぱり私は心の底で、人との触れあいを望んでいる。
私がお母様以外の人との関わりを禁止されている事をシャンティも知っていた。
私たちが話しているところを誰かに見られるのはよくない。
そんなような事を言って…長くお話が出来ない代わりに、シャンティは手紙を書いて持ってくる

ようになっていた。
手紙をワラ山の中に隠して、私もその返事を同じ場所に隠す。
そんなやりとりをする事で彼と会話をしていた。
外出を禁止されている私に、シャンティは外の世界の事を色々と教えてくれていた。
私は徐々に、シャンティに惹かれていくのを感じていた。
お母様以外で唯一、私に話し掛けてくれる男の子…

「今日もまた… ここに入れておくよ」
「手紙。明日も、明後日も、その次の日も… ここへ入れておくから」
「外の世界を知らない君に、今日、外で起きたこと…」

シャンティ…


私が12歳になったその日。
長い、長い戦争は…ようやく終結をむかえた。
私たちの国は戦争に負けた。
敵国が新種の兵器を開発してすぐの事だった。

長引く戦争を終わらせたその凄まじい力を持つ兵器は「エピカリ」と呼ばれていて…
見た事もない感染症を誘発する病原体を使用したおぞましい生物兵器だった。
終戦後、私の村では村人が奇行を繰り返したあげく自害するという事件が多発する。
それは生物兵器「エピカリ」によって広がった、ウイルス性の病が原因だった。
感染者に共通していたのは、奇行を繰り返したあげくに記憶を失うという事。

特定の色を異常に恐れる者…
狭いところにこもって呻き続ける者…

その奇行はエスカレートし、動物や人間を殺すという行為…果てには自害に及んでしまう。
病中は身体に直接異変は見られないけど…
死後、死体の皮膚は変色し、鮮やかな紫色に染まるという特徴があった。
その紫色は屍からウイルスが溢れている事を表していた。
感染を止めるためには、死亡した感染者を早い段階で焼却処理する必要があった。
エピカリに感染した者、また、その屍は一か所に集められることになった。
それは村の外れにある教会…私の暮らしているその場所だった。

紫色に染まり始めた屍は祈りを捧げられる事もなくただ、無造作に焼かれる。
焼却処理をする人間はその感染を防ぐために物々しい恰好をしていて…
その他の人間は屍に近づかないよう徹底された。

でも、私は耐えられなかった。

周囲の制止を振り切って、私は祈りを捧げた。

 

「せめて、祈りを…」
「祈りを…」

Luger part2

重い罪人を監禁するだけの場所ではない。
罪を抱える者が陽の光を嫌い、進んで地下へ潜る事もあった。
そして許しを請うように来る日も来る日も祈りを捧げる。
血生臭い地下にあっても、それは罪人にとって聖堂と同じように崇高な場所だった。
ところが戦争が進み、この地域一帯が敵国の支配下におかれると…

老朽したその施設はいつしか軍事拠点として利用され、その意義を変えられてしまった。


ルガーお母様は私に、「リアン」という名前をくれた。
お母様は拷問史として、造りかえられたその地下施設で仕事をしながら暮らしていた。
拷問という仕事をこなしながら、地上の聖堂を訪れては私との時間を過ごすようにした。
聖堂にある祭壇の前で赤ん坊の私を胸に抱いて…
どこか不思議な旋律の子守唄を口ずさみながら…頭を撫でて寝かしつけてくれる。

赤い花がまばらに咲いた野原…
土と花の香り…
柔らかい風…
暖かい日射し…
眩しい光…
不思議な歌声…

そしてお母様から漂う、濃い血の臭い…

それらは幼い私を、とても安心させてくれた。
ルガーお母様は地上で過ごしている間、片時も私を手放さなかった。
それは周りから見れば母子の愛情というより執着に見えたかもしれない。
実際、お母様は私が成長するに連れて…
拷問の仕事をしている時以外は私をそばに置いておく、という事に妙にこだわるようになってい

く。
私が歩けるまでに成長すると、ルガーお母様は私に他者との干渉、外出も禁止した。
関わりを持つのはお母様だけ。

「お前は私の娘…」
「ずっと、ずっと、永遠に」
「お前と私だけの絆」

拷問史であるお母様はいつでも返り血を浴びたまま私の身体を抱き寄せた。
そして諭すように、語り掛けるように、私に話した。
私以外の人と話をしてはいけない…
一人の時は決して部屋から出てはいけない…
お前は私の娘なのだから、と。
それらを約束させながら、お母様は私に鍵を渡した。
それは先端の折れた鍵だった。
血痕の付いた奇妙な形の、もう使い物にならない鍵…
その鍵を手渡しながらお母様は私に話した。

「この鍵を持っておきなさい」
「これはお前の鍵」
「これからお前は」
「私以外の者と関わりをもってはならない…」

それは「束縛の証」だった。
まだ幼かった私はそれを漠然と理解していた。
でも私にとってそんな約束事は大した問題ではなかった。
私にとってはお母様が全てだったからだ。
お母様がいてくれれば… それだけで私は充分だった。


7歳まで成長した私は、司祭様の指示で働く事になった。
それは教会で飼育されている家畜の世話係で、およそ人との関わりがない仕事だった。
ルガーお母様が司祭様にそう命じたのかもしれない。
人との関わりを制限されている私にとって動物との触れあいはとても嬉しく、仕事は好きだった。
特に私が仕事を始めてすぐに生まれた仔馬が可愛くて、献身的に世話をしたのを覚えている。
仕事の時間でなくても、部屋をこっそり抜け出しては仔馬に会いに行った。
それはとっても賢い馬で、まるで私の言う事を理解しているみたいだった。
私と一緒に成長した、小さな栗毛の雌馬…

 

彼女は今、どうしているだろう。